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2014年11月26日水曜日

ちはやふる 26巻感想

もうほんとね、なんというかね、「いまや一番熱いスポ根漫画はちはやふるだ!」とか「ちはやふるって言うのはアレなんですよ、少女漫画の殻を被った熱血少年漫画なんですよ」とか「いやもはや、ちはやふるは少女漫画の殻さえ被っていないですよ! ただの熱いかるた漫画なんです!」とか人に語りまくっていた僕にとっては本当にもうやられた! とか言いようのない、26巻でありました。

そうやった、ちはやふるは少女漫画やったんや・・・。という事を物の見事に思い出させてくれた恐ろしい巻でした。

少女漫画的なある種理不尽な、「お前それイケメンだから許されてるだけじゃねーか」的な空気を読まない突発的行動を、ある意味25巻かけて丹念に丹念に伏線を張り巡らせて、「えー! でも・・・だよね! うん、だよね! しょうがないよね! よくやったよ!」という気持ちにさせてくれるとは・・・恐るべし末次由紀・・・。


いや実際、あれだけの圧倒的熱量で熱血物を描いていたかと思えば、天才の不遇、孤独、特殊性を見事に名人・クイーン戦で描ききり、ここにきて真正面から堂々と少女漫画を描くとか、ほんとちょっとちはやふるのポテンシャルは異常過ぎます。本来誰しもが初期の段階で使いまくってある種マンネリ化させてしまう少女漫画的要素を26巻まで温存とか、ちょっともう凄すぎる。


そんなわけで表紙からも分かる通りの、太一の巻でした。本来少女漫画的には恵まれてしかるべきポジションなのに、なんか常に若干不幸な太一は、まあ多分幸せになれないんだろうなぁ、と思いつつも、27巻を楽しみにせずにはいられませんが、末次先生なら問題をほっぽりだして普通にかるたの勝負を描きそうでそれはそれで楽しみです。

さて、アタイも才能と戦う覚悟を持とう・・・。


ちはやふる(26) (BE LOVE KC)

2014年11月6日木曜日

マジックはそれ単体では存在し得ない、という仮説について。

 先月で今年予定していたイベントも全て終わり、久しぶりに何も抱えるものがないまったりとした日々を過ごしております。などと業界人ぶった挨拶で始めてみましたが、ごめんなさい、基本的に常に暇です。誰か遊んでください。


 まあでもそろそろ来年の事も考えないとなー、来年何すっかなーと自由に一人脳内ブレストを楽しんでいるわけですが、しかしまあ考えれば考えるほどにマジックというものは「広い」分野なのだなぁという事に気付かされます。まあそんな印象論だけ言っても仕方がないので、ちょっと今日はその広さと、なぜ広いのかについて書いてみます。


 僕らは業界の人口が少なく、世間の注目がそこまで集まっていない分野であるが故に、自分達の関わるマジックというものをなんだかひどく狭く規定していってしまっているように思います。しかし実際、このマジックというものはあまりにも広大です。これは別に「一生かけるだけの価値がある」だとかそういう話じゃなくて、単純に他のものとの比較として。

例えばマジシャンは一般的には芸人、という扱いを受けます。どこそこに呼ばれてギャラをもらって営業に行く。まあこういった活動をしている人達は別にマジシャンに限った話じゃなくてもいくらでもいる。

その一方で文献を読み漁り、誰に見せるわけでもないのになんとかここに一現象足せないかだとか、ここでの無意味な改めを減らしたい、だとかを寝食を忘れて研究している人達がいる。

そうかと思えば大会に出て、その腕を競い合っている人達がいる。彼らはある種閉鎖された世界でその世界だけの独自のルールの中で、自分の持てる全てを発揮しようとしている。

で、ごくごく日常ではちょっと新しい手品を覚えては飲み会なんかで嬉々として見せて場を和やかにしたり、逆にちょっと笑われちゃったりしている人達がいる。

ラスベガスなんかのカジノ街にいけばホテルと専属契約を結んでショーを開き、そこいらのサーカスとかミュージシャンとかと個人名で対等に渡り合っている人達がいる。

道具の実演販売をしている人達もいるし、定年を迎えた人達がセカンドライフとして楽しんでいる人達がいるし、小劇場的な試みをしている人達もいれば、同人誌を作っている人達もいて、数式をこねくり回したり、機械をいじったり、木を切ったり、裁縫したりしている人達もいる。今尚徒弟制度を守って伝統的にやっている人たちもいれば、家で一人で動画サイトに投稿している人もいるし、飲食店を経営している人達だっている。マジック的な手法をマジックと違うプレゼンで見せているありとあらゆる人達がいる。

職業として、そして同時に趣味として、これだけ広い参加者がいる、というのは正直改めて考えてみるとなかなかにすごい事だなぁ、という気がします。なんでなんだろう、と考えると多分マジックっていうのは僕らが普段考えるよりも一段上位の概念なんだろうな、という気がするんですよね。

マジックそのものは特に具体的な形を持たないふわふわとした概念であって、それが何か特定の具体的なものと結びついた時に、目に見える形になるんだろうなと。例えばロベールウーダンはそれまでの魔術師的な装いから、当時流行していた燕尾服を着る事で近代奇術の扉を開いたと言われているけど、実際の所ウーダンのした事は「社交界にマジックを結びつけた」って所なんじゃないか、と思うんですよね。

実際、マジックと一口にいった所で、刑務所から脱獄した脱出王フーディーニと、ニコニコ動画でトランプ片手に配信しているニコ生マジッククラスタとを「どちらも同じマジックだよね」と同列に語ってしまうのはどうしたって無理が出てくるし(どちらが上でどちらが下、という話ではなくて)、まあ現実には誰もそんな風には思っていないわけです。

マジックは実際の所、何かと結びつかないと具体的な形となって現れない。だから多分純粋なマジックというものは世の中には存在し得ないのだろう、と思ってきました。マジックは必ず何か具体的なものと結びついている。そういう補助線で考えると面白いし、なぜ僕らがマジックをジャンル分けするのか、であるとか、ある特定の設定を絡めた上で演じる事が多いのか、であるとかそういった事にもある種の仮説が出せそうな気がします。そして結びついているものを特定した上で、その結びつきそのものを変えてみるとか、その結びつきに特化した形でのイベントなりを開催してみるとか、そういう楽しみ方もまだまだ出来そうだなと。

個人が特定の部分に傾倒する事は深める意味でも必要だと思いますが、他の部分をけなしてもしょうがないし、あまり深められていない部分に手を出してみるとか、業界全体をより深く、広くしていく事がまだまだ求められていくんじゃないかなぁ。


って事を思わず考えちゃうくらい暇です。