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2013年8月20日火曜日

表現におけるメッセージ性なるものについて。

クリエーターが作品になんらかのメッセージ性を込める、というのはずいぶんとまあ大変な世の中になってしまったんじゃないかなぁ、などと最近思っています。

それはいわゆる「文学性」みたいなものなのかもしれませんが、多くの人が表現媒体と多くの時間を持ち、それなりの思想なんてものはそこいらに溢れかえってしまっている現代において、わざわざ伝えるべきメッセージなどというものを、思想家ではないクリエーターがはたして考えられるのだろうか、などと思ってしまいます。

また現代の思想家は同時に活動家でもなければならなくなってしまったようにも思います。自身が考えた思想が本当に正しいかどうかを自ら実証してみなければならない、身を持って体現しなければならない、そうでもしないと小難しい事考えているだけ、口ばっかり達者な奴、という風に思われてしまいます。

多くのクリエーターというものは、もともとその表現媒体が好きで好きでたまらないからクリエーターでいるわけで、でもそれが伝わらないから、そして少し物がわかってきたからといってそこに何らかのメッセージ性なるものを足し始める。でもそのメッセージ性は多くの場合、陳腐で、ありふれていて、つまらないものが多く、何も込めていなかった頃よりも安っぽく、わかりにくく、面白みがない。

そしてまことに世に評価されるものは、どちらかというと思想ありきで、表現媒体をただのツールとして使ったものであったりする。それはその表現媒体を愛してやまない人達にとっては不出来なアマチュア作品のように見える。即物的で、良いとこどりで、それなのになぜか話題に上る。



僕らみたいに歪んでるくらいに一つの表現媒体に拘ってる人間は、下手にメッセージ性とかわけわかんない事言ってないで、自分の好きなように、自分のものさしで計りながら、好きにやっていった方がいいよね、みたいな事を考えてます、最近。