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2012年7月30日月曜日

手品番組を作ろう。

Ustream.tv: ユーザー tozakiP: [墨田川花火を見ながら手品周辺ビジネスを考える集い],  . マジック

と題して、Krakenさんとダラダラくっちゃべりました。





生放送もある程度の回数重ねてきたので、だいぶ慣れてきたなぁという感じではあるのですが、しかし相変わらずのグダグダ感は否めませんなぁ。。。日々精進だわ。


そんなこんなでtwitter芸人からそろそろUST芸人にクラスチェンジしたいわけですが、それに関連するトピックを生放送で話し忘れたのでメモがてら、ここに書いておきます。


手品周辺ビジネス(生活)の一環として、手品番組ってのを定期的にやりたいなぁと思ってます。手品界の色んな出来事にコメントしたり、ショーの感想言ったり、道具のレビューしたり、対談してみたり。今はものすごく不定期にやっているのですが、それが定期的に、例えば毎週1時間番組とか出来たら面白いなぁと。もちろん素人がやるもんですからそんなにうまくもないだろうし、グダグダするとは思うのですが、それでも毎週垂れ流してたらみんな文句言いながらも見始めてくれるんじゃなかろうかと。そしてそういうプラットフォームがあればこそ出来る事もきっとあるんだろうなぁと。

まだいまいち固まってないし、毎週やってすぐネタ切れ感満載になるのも怖いのでもうちょい様子見たり色んな人に相談しながら固めていきますが。というか別に僕がやらなくてもだれかやってよ、って話でもあるんですが。むしろ僕が知らないだけですでに誰かそういう事やってるんでしょうか。


まあしばらくの所は対談シリーズみたいな感じで色んな人と対談していこうと思います。戸崎としゃべりたいという奇特な人で、絶妙なテーマ持ってて、ネット上で放送されてもかまわない方は連絡くださいまし。この際もう手品関係なく「2012年以降の男女の友情について」とか「駄菓子2.0」とかそういうのでもかまわないですよ僕は!



2012年7月26日木曜日

幸せはいつも自分の心が決める、のか?

20歳を過ぎた頃から変に大人ぶって、「まあその人が幸せならそれでいいんじゃないの?」といったスタンスをとる事が多くなってきました。自分の価値観やものさしで他人の事を判断し、変におせっかいを焼いたり本人サイズの幸せを見つけて生きている人を否定したりする事は偽善的でありがた迷惑な行為だ、などという事を「あなたは目覚めてないから本当に幸せではないのです!」と宗教的勧誘をする人達を例にあげて考えたりしていました。


  ただ最近少し考え方が変わってきて、やっぱり幸せというもの(あるいは幸不幸というもの)にもある程度客観的な定義が必要なのではないだろうか、と思うようにもなってきました。もっというならば、社会的動物である僕ら人間にとって、不幸や幸せというものは自分の他人との比較の上でしかやはり成り立たないものなんじゃないか、と思い始めたのです。比較をしない事は、結果的に僕らを少しずつ社会的なものさし上で不幸にしていってしまうのではないかと。

  それが顕著に表れる部分として、幸不幸に鈍感になっている場合です。ものすごく恵まれているのに小さい事で不平不満を言ったり、どう考えたって過酷でキツイ状況なのに自分を騙して(または他人に騙されて)なんとかしていたり。僕らが主観的に幸不幸などというものを判断してしまっては、大切な物をそうでもないと思って捨ててしまったり、逃げるべき場面で我慢してしまったり、間違いばかりを起こしてしまいそうです。僕らの主観や感情というものはいつだって間違いを起こしますし、その度に僕らは過去の自分を呪ったり後悔したりするわけですから、人生のある種の目標といってもいい「幸せ」というものを、自分の心などという曖昧なものだけに頼っていいわけがないんじゃないの? などと思います。まあ人それぞれだよね、とかケースバイケースだよね、というのは多くの物事において圧倒的事実ではあるのですが、やっぱり多くの物事において人それぞれやケースバイケースであることは、ある一定の枠の中で、とかある一定の基準の上の範囲で、という但し書きがつくわけで。その枠や基準をとっぱらってしまって、僕らが一人一人ゼロから幸せというものを定義するようであれば、多くの人は失敗する、つまり不幸になってしまうんじゃないのだろうか、と思います。


  だから僕らはある程度相対的な目を持つ必要がありますし、たまに冷静に周りを見回して比較検討してみる必要があるかと思います。さらに言えば、やっぱりどう考えても不幸な人には「君は今不幸だよ」と伝えてあげて、恵まれてる人には「あなたは恵まれていますよ」と言ってあげる必要があるんじゃないかと。それは面倒な行為ですし、疎まれたり、凹んだり、調子に乗ったりと、あまり良いモノには感じないような気もしますが、多分長期的には社会全体の幸福度は上がっていくんじゃないかなぁと。



  まあ僕はシュークリームとか食ってれば幸せなんですけどね!!



2012年7月20日金曜日

情報化社会での浮気を考える。

浮気、という観点からこの情報化社会というものを見てみると、これほど”浮気しやすく”、そして”浮気がバレやすい”社会というものは、歴史上なかっただろうな、などと思います。

知らない人と知り合うコストが極端に少なくなり、人と密にコミュニケーションをとるツールもものすごく発達しました。その気になりさえすれば、浮気相手を探す事くらい、大した労力もなく達せられるだろう、と思います。

で、当然の事ながら浮気というものは本命の相手がいるからこそ成り立つ「浮ついた気持ち(及びそれを基軸とする行動)」であるわけなので、浮気が本命にバレたらまずいわけです。そして情報化社会(あるいはメディア社会)において、浮気がバレるバレないというものは当人の努力ではどうしようのない所まで来てしまっているように思います。


これまでは、ある程度気を使っていれば、浮気がバレる可能性というものはある程度無視していい確率であったように思います。きちんとした気遣いが出来る人間にとって、浮気というものは割の良い投資であった、と言い換えてもいい。よっぽど運が悪くなければ、それなりのスリルと高揚感とを手に入れられる、実に大衆的な文化であったように思います。


情報化社会においては、全ての人間が情報を発信出来ます。多くの人間がそこいらでパシャパシャとケータイで写真を撮っている状態で、そのいずれかに自分が浮気相手と一緒にいる所を撮影されてしまう可能性は決して低くないように思います。そして僕らは遠くない未来、特定の人間が写っている画像を検索するツールを手に入れてしまう事でしょう。今でさえ家族の顔を覚えさせておいて、その顔を認識してそこにピントが合うように調節してくれるカメラが存在するわけですから、技術的にはまず可能でしょうし、似たような画像を検索してくれる画像検索サービスもあるわけですから、技術的にはそんなに難しい事でもないでしょうし。


浮気というもののバレる確率がどんどん上がっていくようであれば、いつか浮気は割の合わない投資になってしまいます。となると、僕らはもしかするとそろそろ、浮気という文化を捨てなければならない所まできているのかもしれません。




 もちろんまあ浮気に限らないのですが、どんどん悪い事がしづらい世の中になっているように思います。悪い事、というのはバレない可能性と得られるメリットを天秤にかけて行うものですから、バレる確率が高くなればなるほどに、やる人が少なくなっていきます。そうなるともう、清廉潔白である事こそが一番割が良くなってしまうという、損得で考えて善人である事を選ぶ、なんだか僕らの常識からするとちょっと不思議な社会が出来上がってしまいます。




じゃあ僕らは一人の伴侶と仲睦まじく、やましい事なんて何もなく暮らしていくんだろうか、と言うとなんだかちょっとそれも違う気がしてるんですけども。たぶん、落としどころとしては「シェア」って概念なんだろうなぁ。。。







2012年7月17日火曜日

夏を満喫してる感がパない。

なんだかここの所、いわゆるリア充的な生活をしてしまっています。


で、これはもうある程度致し方のない部分ではあるかとは思うのですが、リアルが充実していくとその分ネット上の生活がおろそかになってしまいます。近年はリア充さえもがwebサービスを極々当たり前に利用する世の中なので、なかなか一概には言い難いのですが、僕がここで言う「ネット上の生活」なるものには、「バーベキューなう。」だとか「今日は青山でランチ♪」だとかそういったものは含まれておりません。三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、やはり僕の根底には、古き良き、恨みつらみ、妬み、絶望、疎外感、またそれゆえの全能感とクリエイティビティこそがインターネットである、という価値観が浸み込んでしまっているのです。

そしてそういう風にネット上の生活というものを捉えている人間であればあるほどに、アクティブで一般的で楽しげな生活をしてしまうと、それをそのままネット上で表現する事が出来なくなってしまうのです。


リア充になれない本当の理由の人が言っている人と似たような内容ではあるのですが、僕らが本当の意味でリア充になる為には超えるべき壁がたくさんあるように思います。この増田さんは集まりが楽しめない。僕はそうでもなくて集まりも楽しいしリア充ライフは心の底から楽しめます。でもそれをキチンとネット上で表現するには、なんだか心がすさみ過ぎているように思うのです。僕には残念ながら仲間うちで楽しく盛り上がってる写真をネット上に公開は出来ない。


リア充なるものは最終的には価値観であり、文化であり、生き方そのものなんでしょうな。そうでない人間が表面をなぞったって結局は壁にぶち当たってしまう。出来る事ならば自分のやっている事をなるべくネット上で公開したいと思っている僕には、リア充ライフというものはあまり向いていないのかもしれません。




うん、まあでも、割と楽しく生きてるんですけれども。





2012年7月12日木曜日

言い訳。


もう本当にありがたい事なんだろうけども、情報革命によって世の中に情報が溢れてくれたおかげで、消費しても消費しても無限に近いくらいに情報、コンテンツがあり余ってますよね。見なきゃいけない映画、アニメ、ドラマ、バラエティ、読まなきゃいけない漫画、小説、ビジネス経済実用書、調べるべき趣味娯楽、ニュース教養、時間がいくらあっても足りないですよね本当に。

で、そのおかげというかそのせいというか、「知っていなければいけない事」というものがものすごく少なくなってしまったように思います。全ての上澄みをすくう、いわゆるマスというものがあまり意味を持たなくなり、それぞれがそれぞれの分野のものを楽しむようになると、興味の矛先が違う人と話題がないっていうのはもう当たり前の話になってしまいました。俗に言う共通体験を持たない世代としての僕らは、自分のグループの人間とは深く付き合うけども、それ以外の人間は正直どうでもよくなってしまいました。いやそれどころか、同じ人間でも特定の話題の際にしかコミュニケーションをとらない、この話題はこの人と、あの話題はあの人と、という話題を中心としたコミュニケーションをとるようになってしまいました。

そりゃあ人々はそうしたコミュニケーションを取りやすいネット上でコミュニケーションをとるようになるし、話題を中心としない、人間と人間とのコミュニケーションを避けるようになってきますよね。誰かとコミュニケーションを取る場合には人ではなく話題を中心に据えていて、そしてその話題というものがほぼ無限にある現代において、話題で繋がっている関係以外ではどちらかが歩み寄らないとコミュニケーションなど成立するわけがないのです。そして歩み寄るという事は「人と違う個性、自分の気持ちが大事なんだ」と言って育てられてきた僕たちにとっては「自分を殺す」ことに他なりません。自分を殺して生きるって事は、なんだかすごく不健康な生き方のような気がします。


それでも我々一般人はコミュニケーションを取らざるを得ません。さてじゃあどうしよう、っていうと結局の所、「水の流れにのって漂っていく」しかないような気がします。多くの人が色々なこだわりとか趣味趣向を持ってそれぞれに世界を持って生きているのであれば、自分自身はそういったものを持たず、周りの人たちの話に出てきたものを好き嫌いなくつまみ食いしていく。そしてそれを「自分を殺す」と考えるのではなく、楽しんで行っていく事が楽に、楽しく生きていく術なのじゃないのかなぁ、などと最近思います。ものすごく極端な事を言うと、自我ってもんを否定しちゃうのが一番気楽なんじゃなかろうか、って事になりますかねぇ。



と、これから「まどか☆マギカ」を見る言い訳を全力でしてみました。



2012年7月10日火曜日

長電話体質。

ここ数年、日増しに通信費が増えていっています。

単純に大人になっていくと増えていく必要経費みたいなものなのかな、とも思うのですが(冠婚葬祭費とかみたいに)、なんだかなぁ、多少は節約しなくちゃいけないかなぁ、なんて事も小市民としては思うわけで。

日々の家計簿をしっかりとつけるほど出来た人間ではないのですが、時々クレカの履歴とか領収書の束とかを見返してみて、ざっくりと一か月にどれくらい使ってるかを項目別に把握してみると、「おお、オレ、ネットとかケータイとかにこんなに使ってんのか・・・」と軽く絶望します。
で、まあ「食費」やら「服飾費」やら「交通費」とか項目別に並んだ数字を見て、ふと思うわけです。一体「通信費」ってなんやねん、と。

よくよく考えてみれば、僕らは別に通信がしたいわけじゃなく、娯楽の為とか勉強の為とか人とのコミュニケーションとかの為に通信費ってやつを払ってるわけですよ。であれば、ネット代とかケータイ代とかって「娯楽費」とか「交際費」に入れるべきなんじゃないの?


そう思った瞬間に、ケータイ代とかネット代って別にそんなに高くないじゃん、という事実にようやく至りました。最近は特にケータイでの通話代が結構な事になっているのですが、それでもまあそれと同じだけのコミュニケーションを取る為には、交通費やら酒代やらはどう少なく見積もっても倍以上かかります。であるならば、むしろ通信費が年々上がっているという事は、逆に、そう逆に「交際費」の節約なんじゃないかと! そう思う事にしました。



なんかよく連絡取る人に限ってskypeとかLINEとかやってないんだよなぁ。。。ぬう。

2012年7月8日日曜日

裏方組織を考える。

この前、サウンドハウス に行ってきて、音響機材やら照明機材やら色々と見てきました。

そしたらもう機材ってすげー安いのね。なんか勝手に専門機材っていうのはある程度高いもんだ、っていう先入観があったのでびっくりしましたよ。これ、50万とか100万とか出せばとりあえずは一通り揃うやん。



以前にやったUSTの放送でこれからのパフォーマンス業界はキャパの小さい(10~100人程度)ショーが乱立していくだろう、という予測を僕は勝手にしていました。がしかし、その兆しがいまいち見えない。うーん、どうしたものだろうか、と日々悶々としていたのですよ。

考えてみればそれはそのはずで、少人数でショーを行うっていうのは結構な手間なわけですよね。実際にやるパフォーマンスもそのショー用に考えないといけないですし、それ以外に集客やら箱探しやら音響だ受付だといったスタッフの事まで考えないといけないわけで。自分一人だけじゃないから台本のようなものも書かないといけないですし、お客さんに連絡したり、チラシ作ったり、サイトの更新したりと、ほんともうめんどくさい事のオンパレードなわけです。


であれば、そこいらのめんどくさい事を全部任せられる組織が、小規模のショーの乱立の為に必要な事なんじゃないの? って常々思ってたんですよね。

そこにきて前述したサウンドハウスで意外と必要機材が安いという事実を発見した僕は、これは裏方組織を考えてもいいんじゃなかろうか、などとふと思いました。というかそもそもそんな所って普通あって当たり前だろう、と思うも、少なくとも僕の生きている手品界という所では残念ながら「手品イベントの裏方の事ならお任せください!」と言って、本当に任せられる所というのは僕の観測範囲ではありません。

でもじゃあ現実の手品イベントってどういう風に運営されているかというと、主催組織の人間で賄える所以外は助っ人的にある程度経験のある人たちを呼んでなんとかしている、という現状です。
で、この「ある程度経験のある人たち」というのをもう少し具体的に言うと、「ある程度手品の事がわかっていて、実際のイベントスタッフの経験もあり、スケジュールに余裕があり、人に使われる事を厭わず、手品のイベントに手伝いに行ってもイベントを見ずに仕事に没頭する事ができ、それでいて交通費程度で来てくれる人」という恐ろしくハードルが高い人材が必要になるんですよね。つまり手品イベントスタッフに適任の人って「手品に詳しいけどそこまで手品大好きバカじゃなく、実務能力があって金と時間に困ってない人」というわけです。その結果、表に出ているマジシャン以上に希少な手品イベントスタッフというものはものすごく重宝されるので、結局どこにいっても同じ人が裏方で働いている、という状態になります。

僕自身が最近裏方的な仕事が多いので、どうしても穿った見方にはなってしまうのですが、どうもこの世界の裏方は大変で、希少で、非常に重要なのにぞんざいに扱われている、現実があるように思います。


個人的なショーをやりたいけど裏方的な事が面倒なパフォーマーと、いまいち報われない裏方とを同時に救う為には、ある程度しっかりとした裏方組織はどうしても必要だろうなぁ、と思います。でそれが実はそんなに労力なく作る事が出来る。うーん、気付いちゃったからやらざるをえないんだろうか・・・。
卵が先か鶏が先か、の話にしかならないんですが、現状でこういう組織を作ってもまず間違いなく割に合わない仕事ですし、でもこういう組織を作らない事には多分パイは広がらない。うーむ、やっぱり手品の世界の話をする為にはまずは手品師を増やし、手品師の関わるありとあらゆるパイを広げていくしかないのかなぁ。



あ、えと、適当に思った事とかやった事とか書いてくブログです。
いつも通り飽きたら消すよ!